国際結婚in上海

老舗 鉄人52号復活!

あんドーナツ

 女房の弟は四十も半ばを過ぎて、頭も薄くなり大分見た目はオジン臭くなった。
昨年までは養毛剤を使ったり、頭をポコポコ叩いて刺激したり、傍目にも涙ぐましい努力をしていた。
半年経って私ら夫婦がまた舞い戻ってきたら、何か思うところがあったのか、坊主頭になっていた。空港での出迎え時は帽子を被っていたから分からなかったが、帰路のタクシーの中で気が付いた。
何んと声を掛けたらいいか言葉が見つからない。
オッ!似合うねなんて言ったら、白々しくて却って傷つけそう。
全部剃り上げてスキンヘッドのお洒落にするまで勇気がなく、五分刈りのゴマシオ頭になっているのが哀れ感を誘った。

以前聞いたことがあった。
「この20年の上海大発展で一番良かったことは?」
「没有(ない)!」
と即座言い、「昔の方がよかった」と肩をすくめて両手を広げたアウトのポーズをとった。

どこの国も経済発展でその恩恵に与れるのはごく少数、みんなが豊かになれる訳じゃない。日本のバブル時だって、サラリーマンなんかは多少給料が高かったり、交際費が自由に使えたりしたかも知れないが、それだけ。
土地建物の高騰で不動産屋は笑いが止まらなかっただろうが、それは強力なコネをもっていたり、いくらでも資金調達ができた大手不動産屋のことで、私の知り合いの街の不動産屋なんかは、お金の匂いが通り過ぎて行っただけとよく話す。
圧政に苦しんだ旧ソ連だって、崩壊してやっと自由を手に入れたら、今度は自己責任が重く圧し掛かり、共産党時代の方がよかったと声高に叫ぶ人もいる。
中国の成功の中で、身内にそんな不満の声を聞くとは思ってもみなかったが、やっぱり機を見て敏なる性格だとか変わり身の早さだとか、はたまた一歩先を見通す洞察力だとかが、しぶとく生き残る秘訣なのかも知れない。
そのどれもを持ち合わせていなかった義弟は、残念ながらリアルタイムで繁栄する上海に住みながらチャンスを掴めなかった。

義弟は早くに結婚したが、妻と喧嘩が絶えず5年ほどで離婚した。
一人っ子政策の真っ只中、一粒種の息子は義弟が引き取ったが、10年ほど前盛んに再婚を口にし出した。ところがその時すでに初婚再婚に限らず結婚の条件として、十分な経済力と家持ちが世間の常識となっていた。
学歴はなく、年収も低く、住居は狭く、子持ちでしかも老両親との同居とあっては候補者は皆無に等しかった。
そのうち頭まで薄くなってきて、本人も諦めの境地に至り、昨年はその寂しさをカラオケで紛らわすように歌に熱中していた。
まだ続いているかと思っていたが、今年はパン作りに夢中になっていた。
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残念ながら同居の父母はパン嫌い。
作るのが楽しいから焼いたパンはどんどん増える。
仕方なく近所や友人にタダで配ったが、「美味しい、また食べたい」と評判はすこぶる良かった。
それに気をよくした義弟は冗談半分に「今度お金をもらおうかな」と言った途端、みんなソッポを向いてしまったというから、世の中は実に世知辛い。
飛んで火にいる夏の虫、そんなところへパン好きの身内がやって来た。
地獄の沙汰も金次第、先日の訪中歓迎会で渡した小遣いのお礼を兼ねて、毎日種類の違う焼き立てのパンが届いた。
上海にはいまだに美味いパン屋が少ないなか、パン好きの私としてはお世辞抜きでも中々イケると感じた。レーズン入りや小豆入りのふっくらパン、チーズケーキ、餅菓子風までレパートリーは広い。
人間、気が付かないか巡り合わなかっただけで、誰でも何かしらの才能があるもんだと感心した。

長くなったが、ここでやっと表題のあんドーナツに辿り着く。
日本じゃあんドーナツは誰もが好きで一番売れていると話し、口頭で大体どんなものかを説明した。
上海のパン屋じゃ滅多に売っていないので、多分出来ないだろうと期待もしていなかったが、試作品として作ってきたのが上の写真。
ドーナツと聞いて、上海にあるダンキンドーナツのリングドーナツを思い浮かべたのだろう。リングの中にあんこを挟み込むのは大変だったに違いない。
見映えは不思議な形だったが、味は紛れもないあんドーナツだった。
こいつはひょっとしてモノになるかもと思い直し、そんなことをしないで、普通の豆沙面包(アンパン)を揚げればいいんだと説明し直した。
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そして出来てきたのがこのあんドーナツ。
一つ一つプラケースに入れて本格的だ。
まだ改良の余地があるものの、まずまずの出来と言って良い。
これで上海滞在の不満が一つ減り、いつでもあんドーナツが食べられるという安心感が出来たということは、一つ怪傑(解決)黒頭巾!実に有難いことなのである。


   
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最後の歓迎会

 女房の実家から恒例の歓迎食事会に招待された。
私が家常菜(上海家庭料理)が苦手なので、私が唯一食すことができるしゃぶしゃぶ風火鍋がここ何年か続いたが、今年は家常菜に戻っていた。
日本のものとは見映えが違う青椒肉絲、殻付きエビ炒め、野菜なしの剥き海老八宝菜、じゃがいもの細切り炒め、原形を留めない茄子のクタクタ煮。
義父曰く、何んといっても本日一番のお勧めは今朝〆た鶏の一匹丸ごと煮込み。
丼からせり上がるよう持ち上がった鶏の首、目は瞑っていたが恨みつらみを言いたそう。
そんなの見ちゃったら途端に食欲は消え失せた。
女房にとっては故郷の味も、私にとっては一番苦手とする味で、料理の数の問題ではなく、とにかくどれも手が出にくい。
そんなことにはお構いなく、一家は私の満足度を推し量るように箸の上げ下げに注目している。
かなりのプレッシャーだった。仕方なくその場の張り詰めた空気を解すべく、ニコニコ微笑ながら一番手前にあった肉野菜炒めの中のインゲン豆を一本摘んで口に入れた。
歯ごたえはまさにインゲン豆だったが、追いかけるように辛みが襲ってきた。
あ~~、青唐辛子だった!もう辛いのを通り越して口の中がビリビリの感電状態。
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夕べ女房に、「上海に来るのも今年が最後になるかも知れないから、今までお世話になったお礼に少しまとまったお金を渡したい」と相談した。
私の提示した金額は、義父母、義弟のいずれにも、それはあげ過ぎだと難色を示した。
こと金のこととなると、女房は自分の身内に対してもシビアだ。
体調が何とか維持できて、来年も来られればそれに越したことはないが、もし来られなければ義理を欠く思いが残るので、ここはケジメをつけたいという私の思いを通させてもらった。

女房の実家じゃ義父も義母も年金をもらっているし、義父は電動バイクを駆って宅配のアルバイトもしている。
義弟も給料はそれほど高くないが安定した仕事に就いていて、物価の高い上海にあっても生活は成り立っているようだ。
それに引き換え私の方は無年金のうえ、所得税はゼロ申告、住民税は均等割、健康保険料も最低ランク。
その私が支援を続けるのもおかしな話なので、数年前から支援はストップしていたが、訪中も今年限りとなれば最後の支援復活だ。
経済発展著しく、富裕層も格段に増えた上海にあって、「なんだこれっぽっち」と思われたくないから精一杯張り込んだ。
20年間、婿の好意は当たり前、人の金ならいくらでも使える義父との付き合いは大変だったが、それでも最後となれば相手を立てるのが日本人の礼儀。
食事が始まってすぐ、

「体調が悪いので私は来年は来られるかどうかわからない、これは長い間お世話になった私からの感謝の気持ちです」

と言って、義父母、義弟に封筒を渡した。
思いがけないプレゼント、以前と違う封筒の厚みにビックリしていた。
これでいい、これでいい、まだ上海滞在は始まったばかり、これで女房も肩身が広く過ごせるだろう。
立つ鳥跡を濁さずだぁ!そんな諺、中国人には分からないか。


   
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今年も来たぞ、上海!

  上海に無事着いて5日が経ち、ようやく落ち着いた。
昔は生活環境が変わっても、すぐに慣れたものだが、年を取ると順応力とか適応力もかなり衰えるようだ。

今回の訪中で中国が外国人に対してヤケに強気になったことを感じた。
まずビザの申請。
長い間六本木の中国大使館で行っていた査証業務を、2016年から港区虎ノ門に移転した。
手狭な大使館内では対応しきれなくなったことは想像できるので、これに文句をつける気持ちは毛頭ない。
問題は申請方法がかなり厳しくなったこと。
今までは必要書類さえ揃っていれば女房の代行で問題なかったが、移転してから申請時には本人が出頭しなければいけなくなった・・・・これはきつい。
息切れが酷くて100mもまともに歩けない身としては、地下鉄の乗り換えや階段の上り下りはきついのを通り越し、呼吸困難状態でその場に蹲って動けなくなることもしばしば。
それに輪をかけるように、昨年は言われなかったビザ受領も今年から本人が来なければならないんだとか。これはイジメだ!
2週間以内の観光ならパスポートがあればOKなのは変わらないが、労働ビザとか長期滞在ビザはとにかく面倒になった。
世界第2位の経済大国に変貌した中国は、もう外国人の世話にならなくてもよくなったからか、本土現地でも外国人在留の規定が厳しくなって、実質の追い出し作戦を展開中。

まっ、こういう時は頼りになる口の達者な女房が何とか食い下がり、委任状を持ってくれば認める言質を取り付けて難を免れることができたのだが。
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ビザ申請の長い列。
このあとズラッと並ぶ銀行カウンターのような本受付で1時間くらい待たされた。

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いよいよ出発、日本の上空は快晴。モクモクした雲はもう夏の雲だ。

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上海浦東国際空港到着。拡張工事を重ね、最近第2ターミナル完成。

私がいつも利用する春秋航空はLCCなので、第2ターミナルが出来る前は飛行場の一番端っこが定位置。
昔懐かしいタラップで降りてバスに乗せられ、いい加減走ってようやく第1ターミナルに入ったが、今回はストレートに建物に入れたので持病持ちには助かった。

イミグレーションに向かう途中で係官が、「外国人はこっち、こっち」と手招きする。
何かと思ったら指紋登録機、両手10本の指を全部取られた。
機械の性能がいまいちなのか、モニター画面にはっきり写し取れない。
傍で数人待機している係官がモタモタしている奴のところへやってきて、もっと強く指を画面に押し当てろという。
四苦八苦の末、やっと「OK」と印刷された紙が出てきて放免。
前方のイミグレはもうかなりの人が、とぐろを巻くように並んでいる。
遅々として進まない行列に待つこと30分、やっと番が来たらここでもまた指紋検査。
「OK」の紙を見せても係官は憮然として、黙ってやれと言わんばかり。
日本でも昔、外国人の指紋を取るなんて話が出た時、差別だとか人権侵害だとかで物議を醸したことがあったが、中国じゃ青天の霹靂、こう決めたから嫌なら上陸させないって態度。

やっと解放されたら、義父と義弟が迎えに来ていた。
東京の家を出てから10時間、這う這うの体でタクシー乗り場へ。
空港に直結している高速道路へ出たら、いきなり渋滞。
また車の数が増えたようだ。
昨年は40分で着いたが今年はキッチリ1時間、料金も大体150元(2400円)くらいで来られたのが、運賃値上げの物価高も相まって200元オーバー。
兎にも角にも何んとかやって来た!体調から考えたら奇跡的だともいえる。
これからの5か月から半年、無事に乗り切れるか!


   
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こむら返り

 上海行きもあと3日に迫った。
出発の準備はほぼ終わったが、私にとって一番大事な食糧の買い出しがまだ残っている。
女房に任せていてはトンチンカンな物を買ってくるので、これだけは私が出張ることにしている。
料理の苦手な女房には、和風だしとかつゆの素とかどれを買っていいか分からないし、浅漬けの素とか冷奴スープなんて恐らく気が付かないだろう。
必要なものを調達して、さて帰ろうとスーパーの駐輪場へ向かった。
買ったものは2つの袋に分散したが、ビン物の入った重い方は暗黙の習慣で私の買い物かごに入れた。
駐輪場が一杯だったから女房の自転車は離れたところに置いたので、ちょっとの間別行動をとった。
もっと買い物が多い時は前輪の上にある買い物かごだけでは入りきらず、両ハンドルにもレジ袋を吊り下げる時もあるから、今日は楽勝と思いながらサドルを跨いだ。
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ふと前を見ると袋の口が大きく開き、買った食料品が零れ落ちそうだ。
途中で落としてしまっては、用が足らなくなることを予見して、サドルを跨いだ態勢で袋の口を結わえようとした。
サドルが高くて左足が爪先立ちの状態だったのが無理の元だったか、急に左足の脹脛に激痛が走った。
途端にマヒしたようにまったく力は入らなくなり、そのまま横倒しになってしまった。

こんなことはかつてなかった。

倒れた時に鮭のフレークや冷奴スープの瓶が、派手な音を立てコロコロと路上に転がり出た。
傍にいた同じ買い物客の男性が、「大丈夫ですか!」と声を掛けてくれたが、恥ずかしくてその人の顔を見ることも出来ず、「はい、大丈夫です」というのが精一杯。
転がり出たものを搔き集め、自転車を起こそうとしたが左足の感覚がない。
こりゃ突発的な脳梗塞を引き起こしたか。
ふと先日亡くなった西城秀樹のことが頭を過る。
好事魔多し、そんなにいいことは続かない。これで上海行きもアウトか。

女房が遠目に自転車を横倒しにして踠いている私を発見。
すぐに飛んできてくれたが、激しく痙攣したようにこむら返りを起こした左脹脛の激痛は治まらない。
女房は転げ落ちたビン物が割れていないかの方が心配らしく、一つ一つ翳しては確認していた。可愛くないやっちゃ!

年を取ると予期しないこんなことも起きるのかと、改めて年齢からくる衰えを痛感した。
老齢からくる交通事故が多発している現在、今度の免許更新は返納しようと思った。

さて、次回の更新は上海からとなります。お楽しみに


   
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カッコ良さ!

 私は昔から流行にワンテンポ遅れている。
爆発的なビートルズ旋風が起きた1963年当時、大工修行に行っていた東京のはずれの田舎町商店街でも朝から晩まで「抱きしめたい」とか「プリーズ・プリーズ・ミー」の曲が流れていた。
同年代は猫も杓子も熱狂していたが、私はそういった環境になくジックリ聞く機会もないまま6、7年が過ぎ、大工修行も見習いが終わり、職人の端くれになってから、遅ればせながらビートルズの曲に聞き惚れてファンになった。
だが時遅し、現代音楽に多くの影響を与えたビートルズは無情にも解散してしまった。

その後1970年代に入り、「エルビス・オン・ステージ」という映画を見た。
ラスベガスのコンサートドキュメンタリーで、ど派手な純白のヒラヒラ衣装を着て、ステージ袖からはにかみながら出てくるシーンがカッコよくて、そこを観たさに5、6回映画館に足を運んだ。
我々の年代は大体がプレスリーから入ってビートルズに移行するのが普通だが、私はすべて逆。今度はプレスリーのファンになって、「ポーク・サラダ・アニー」から遡って「監獄ロック」まで掘り起こして聞くに至った。

カッコいいといえば忘れてはならないのが高倉健。
昭和40年(1965) 健さん、脂がのった34歳。
任侠映画の決定版、「昭和残侠伝」
悪徳やくざの仕打ちに耐えて耐えて耐えて、堪忍袋の緒が切れての殴り込み。
雪がチラチラ舞う夜更け、着流しに長ドスを握り、男の悲壮感を漂わせ敵地に向かう。
物陰から池部良扮する義兄弟がスッと出てきて、「兄弟、俺も行くぜ」。
言葉を交わさなくても、すべてを飲み込んだ男同士の義理と意地。
もう男の美学の極致、「よ~し!行って来い!」と映画館は観客の拍手で包まれた。

あれから50年の歳月が流れた。
高倉健も菅原文太も亡くなってしまった。
緋牡丹博徒のお竜を演じた藤純子も齢70歳を超え、堂々のおばあちゃんになった。
もう世の中でカッコいいものなんかにお目に掛れないと思っていたが奇跡が起きた。
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上海滞在中に友人とよくカラオケに行くが、この友人の必ず歌う十八番が矢沢永吉の曲。
こよなく矢沢の歌が好きだというのは分かるが、一本調子でメロディラインが分からず原曲のイメージが湧かない。
この友人は昔っからの大ファンで、東京にいた頃はコンサートにも行ったことがあるとか。
私は矢沢永吉について、昔キャロルというグループで騒がしい曲を歌っていて、後年CMで「時間よ止まれ」が随分流されたからそれで知っている程度だった。
先日、BSで矢沢永吉コンサートを放送したので、そのうち観てみようと取りあえず録画して置いた。
出会いとか巡り合いは不思議なもので、何かに突き動かされたようにその機会は早くにやって来た。
まさに衝撃的だった。
いい年をしてカッコばかり付けてるロック親父なんて、偏見でしか捉えていなかった自分が恥ずかしくなった。
プレスリーや高倉健にも劣らない天性のカッコ良さ。
御年68歳ながら、武道館公演は歴代最多の142回を数え、衰えを知らない活躍だ。

女房は今お友達との付き合いの中で、どうしてもカラオケレパートリーを増やしたいと模索中。
だが元々歌はあまり好きじゃない。それなのにTVに見入っている私の後ろから、

「これいい曲だね、なんて歌?私も覚えたい」

これ、矢沢の「ゴールドラッシュ」って曲。
怖れ多くも、無理無理!簡単そうで素人に歌える曲じゃない。
歌に興味がない人間でも1回聞いて覚えたいと思わせる凄さ。

カッコいい矢沢永吉を知るのにも随分時間が掛かった。
結局、殆ど絶頂のリアルタイムでは同年代と共有できず、ブームが過ぎてからファンになったのが多かったが、矢沢はいまでも現役の根強い多くのファンがいる。
最後で追い付いたってことか。
大して年の変わらない男がこれだけ頑張っているんだから、俺もまだまだ頑張らなきゃ!


   
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